読者と少しおしゃべり
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男性も女性も子供も、一人一人の顔を区別できるなんて、人類にとってなんと幸運なことでしょうか。もし、すべての顔がトマトのラベルのようにどれも同じであったならば、私たちの住む世界はとても混乱したものとなったことでしょう。考えてみれば、人生とはさまざまな人との出会いや体験の連続であります。例えば、卵屋のジョーンズが銀行家のスミスと全く同じ顔であったとします。テーブルの向こうの顔は、マーフィー夫人の顔かもしれないし、ゴールドバット夫人の顔かもしれないし、トロツキー夫人の顔かもしれない。もし、雑誌や新聞、テレビに登場するすべての顔が、男性と女性どちらもたった一つのタイプに集約されてしまうとしたら、人生はどれほど退屈になるか知れません。たとえ自分の顔があなたの意にそぐわなかったとしても、美しいとは言い難いものであったとしても、それでも、自然は私たちにすばらしい幸運を授けてくれたのです。なぜならば、少なくとも私たちは個人であり、良くも悪くも、まぎれもない自分の顔を持っていることに感謝することができるからです。
顔の個性というものは、誰にとっても、特に絵を描く才能が少しでもある人にとっては、とてもおもしろい研究対象になります。この個性という違いが生まれる原因をいくらかでも理解すれば、研究はより深まります。私たちの顔を通して、自然は私たちを区別するだけでなく、私たち一人一人のことをもっともっと世界に知らしめているのです。
思考、感情、態度、そしてどのような人生を歩んできたかまでもが、顔に
表
れます。顔の肉が動く能力、すなわち表情をとる能力によって、単に個人を見分ける以上のものが顔に与えられているのです。意識的に、あるいは無意識のうちに、絶え間なく変化する顔によく注意してみましょう。心理的、感情的な段階にまでは触れませんが、ほほ笑んだ顔、しかめっ面など、私たちが表情と呼ぶものについての基本的かつテクニカルな理由は、簡単な言葉で言い表すことができます。例えば、申し訳なさそうな表情、恥じらいの表情、怯えた表情、満足、怒り、うぬぼれ、自信、苛立ち、その他数えきれないほど多くの表情...のように言えます。そういったあらゆる表情の仕組みは、頭蓋骨にくっついている筋肉によって説明できます。そして、これらの筋肉や骨は、複雑で難しいものではありません!それは面白さの宝庫といったところでしょうか!
最初に断っておきますが、頭を効果的に描くことは、「魂の探求」や「読心術」といった 類 の問題ではありません。比率、パース(遠近法)、ライティング(光の当て方)などから、形を正しく解釈することが第一なのです。他のすべての要素は、頭の形を解釈した結果として、すでに絵の中に組み込まれているものなのです。絵描きがそれを正しく理解できてこそ、魂や性格が明らかになるのです。絵描きとしてすることは、ただ見て、分析し、描き留めるだけなのです。頭の構造に従って、正しい明度で描かれた一対の目は、職人の技によって生きているように見えるのであって、絵描きがモデルの人の魂を読み取る能力によるものではありません。
このような多様なアイデンティティを生み出す最大の要因は、頭蓋骨そのものの形状の違いです。丸い頭、四角い頭、あごが広くエラの張った頭、細長い頭、細い頭、あごが引っ込んだ頭などがあります。おでこやその上の半球状の部分が広い頭、逆にそれらが狭い頭もあります。顔は凹状だったり、凸状だったりします。鼻やあごは、出っぱったり、引っ込んだりしたものがあります。目は大きかったり小さかったり、間が空いていたり狭かったりします。耳は形や大きさもさまざまです。やせた顔、太った顔、骨格の大きな人や小さな人もいます。唇も長いもの、広いもの、薄いもの、たらこ唇や、突き出たものもあります。鼻の大きさや形もさまざまです。このように、さまざまな要素を掛け合わせると、何百万通りもの顔が生まれることがおわかりいただけると思います。もちろん、平均の法則によって、特定の組み合わせの顔は必ず再現されます。だから、血のつながらない人同士でも、よく似ていることがあるのです。絵描きなら誰でも、自分が描いた人物を「あの人に似ている」とか「知人や親戚に似ている」などと言われた経験があると思います。
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